認知症になった母に寄り添う日々

人が脳の機能を失った時、その周囲の人間はとてもうろたえてしまうものです。一緒に作った思い出ももう、この人の頭から消えているのだと思うと、本当に辛くて悲しいものだと知ります。そういうことの苦しさはテレビでも幾度とみてきましたが、当時それによって周囲がどういう気持ちになるのか、理解はできていませんでした。

最近では、ドラえもんの声で人気だった大山のぶ代さんの認知症が知れ渡っていますが、彼女のように、声優としてはつらつと仕事をして、お料理も好きで本も出版し、愛する素敵なご主人もいた人でも、脳にダメージが起こると、「なあんだ、結局何やってもだめじゃん」と思えてしまいます。

テレビでは、「何でも使っていないと衰えていきますよ。自分でできることはできるだけ自分でやることが大事です」などと、言ってるし、本にもあらかたそのような内容が書かれています。けれど、私の母も単身で自活していました。そして職業は看護婦で、周囲からも気丈な人という印象を与えている人だったのです。それなのに、ある日、留守電に静かな口調で一言メッセージが入っていました。

「メールを送ったので、あとで読んでほしいの」と。そのメールの内容に、私は衝撃を受けてしまいました。

「私、子供を何人産んだのだっけ。あなたと昭博は覚えているのだけど、もう一人いた気がするの。だけど、どうしても思い出せない。」昭博(仮名)は、私の一番下の弟で、本当は真ん中にも弟がいます。そんな内容が送られてきたことも驚きであったけれど、あんなにいろんなことを知っていた母が?と、青天の霹靂でした。

私の母は、今、私がその頃の母と同じ年齢になっても尚かなわないほど、何でも知っている人でした。そして、どんなことを話していても人を飽きさせないところが、人との交流を幅広いものにしていました。あれから数年過ぎて母は他の病でこの世を去ったけれど、誰にでもこういうことが起こるということを、改めて知ったのでした。